連載第1回では「大聖堂」という光のランドマークを、第2回では「デューラー」という天才が守り抜いた線の美学を語りました。第3回の今回は、舞台を19世紀へと移し、ゴシックがなぜ「物語」として、そして「生きる姿勢」として再燃したのかを紐解きます。
*近代化という名の「眩しすぎる光」
19世紀(1800年代ですね)というと皆さんはどんなことを思い浮かべますか?日本では、江戸時代から明治へと変わっていった時代。世界、特にヨーロッパでは、産業革命の「煙」に包まれ劇的な変化を遂げていました。科学の光は、工業化を進め、病の正体を暴き、夜の闇はガス灯に照らしだされ、あらゆるものが「効率」と「合理性」という物差しで測られ始めていました。
しかし、すべてが白日の下にさらされ、理屈で説明できてしまう世界は時として、人間の魂をひどく疲れさせます。
科学の力で「何でも解明できる」という万能感の裏側で、置き去りにされた孤独や、説明のつかない不安。人々はその「心の空洞」を埋めるために、ある強烈な「反作用」を引き起こしました。それが建築、そして文学における「ゴシック・リバイバル」です。
空は、生産性の象徴である煙突からの煙で覆われ、無機質な工場が建ち並ぶ街角に、あえて中世の尖塔(せんとう)を呼び戻す。ホレス・ウォルポールが自邸ストロベリー・ヒル・ハウスを古城のように作り替えたように、計算によって均一化されてゆく街の風景よりも、狂おしいほどの手仕事。それは、眩しすぎる近代化の光から自らの魂を守るための、いわば「精神の防波堤」だったのです。

<Strawberry hill house , Chiswick Chap - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=19592352>
19世紀を目前にした1784年、ホレス・ウォルポールは自身の中世ゴシックへの偏愛を形にするために、一つの言葉を冠した物語を世に放ちました。それが、のちに続くすべての闇の源流となります。
『オトラント城奇譚(きたん) —— A GOTHIC STORY』。 このシンプルで、それでいて力強い文字の羅列から、私たちの愛する『影の居場所』は始まったのです。

ここから、物語は単なる「怖い話」を超え、人間の深淵へと潜り始めます。
*文学が暴いた「内なる怪物」
この反抗精神が最も色濃く現れたのが、ゴシック文学の世界です。
メアリー・シェリー(1797-1851)が生み出した怪物の物語『フランケンシュタイン』。現代でも映画の題材になるほどの名作です。科学の光で命を創り出そうとした博士と、その犠牲となった怪物の孤独。それは、光が暴いた「生命の冒涜」と捉えられます。また「科学万能主義」への警鐘とも言えます。
それから数十年後、この闇を引き継ぎ、恐怖を「外側の怪物」から「内なる狂気」へと深化させたのが、エドガー・アラン・ポー(1809-1849)です。
私は、先日ポーの物語を読みふけりました。そこには、物語の書き出しから不穏な空気が綴られていました。 たとえば『赤き死の仮面』。感染すると確実に死ぬ病気が蔓延。死を逃れるために豪華な城に閉じこもり、仮面舞踏会に興じる人々。最後に現れた「赤き仮面」を剥ぎ取った後に残ったのは、実体のない「虚無」そのものでした。もちろん、舞踏会の場では人々が次々と・・・。
そして、私が特に戦慄したのは『ライジーア』(1838年)です。
*「石棺」から蘇る執念
愛する女性ライジーアを亡くした主人公の狂気にも似た想い。物語の終盤、異様な装飾に満ちた部屋に置かれた「石棺(サコファガス)」から、ライジーアは別人の身体を借りてまで蘇ります。 それはエジプトのミイラが蘇ることを前提として石棺で眠るように、死という自然の摂理(合理性)を、個人の執念がねじ伏せた瞬間でした。
私は主人公の強すぎる想いに恐れを感じました。(ほんとにビビりました。)
「ルネサンス」が古代の光を明るく再生させたのだとしたら、ゴシック文学が描くのは、闇の中からあってはならない姿で現れる「禁忌の復活」です。
物語の中に感じる「たとえ人の道理を外れても、私は私でありたい」という激しすぎる個(主人公とライジーア)の意志。
「私は私でありたい」ーー。
そうです、ゴシック・アンド・ロリータ・ファッションは、自己解放であり自己防衛であり、自己表現の究極の形。ドレスを纏う「個」それぞれの切実で強い想いなのです。
*そして「黒」の美学へ
19世紀の人々が物語の中に「影」を求めたのは、それが魂のバランスを保つための必死の儀式だったからだと私は考えます。 光に背を向け、影の中にこそ真実があると信じた彼らの情熱は、やがて虚構の世界を飛び出し、現実の「装い」へと結実します。
愛する人を失った悲しみさえも、気高く、美しく武装するための色。 次回、第4回。 ヴィクトリア朝の喪服文化が作り上げた、究極の「黒の美学」について語ります。
参考資料
・「ゴシックとは何か」酒井健 株式会社筑摩書房
・「黒猫・アッシャー家の崩壊」エドガー・アラン・ポー 新潮文庫
・映画「ドラキュラ」(1992)監督フランシス・フォード・コッポラ
執筆者

美術検定1級アートナビゲーター
昔、大阪と名古屋でラジオ局のディレクター長いことやってました。
あいちトリエンナーレ2013メンバーでした。
書くことが好きです。
https://flat-artlabo.com/