ゴシックコラム連載第2回:捨てきれぬゴシックの魂 ーー天才デューラーが守り抜いた「北方の誇り」

ゴシックコラム連載第2回:捨てきれぬゴシックの魂 ーー天才デューラーが守り抜いた「北方の誇り」

ゴシックコラム連載第1回目は、「大聖堂」が総合芸術であり、神の光を表現したゴシックのランドマークという話をしました。第2回の今回は、一人のアーティストとゴシックの関係性に注目し、掘り下げていきます。

ゴシックコラム連載第1回:ゴシックの魂 ―― 光と闇の「アートの集大成」はこちら

皆さんもご存じのとおり、15世紀から数百年間、ヨーロッパを席巻した「ルネサンス」という名の光がありました。

イタリアで発光したまばゆい光は、古代ローマの調和と黄金比を理想とし、世界を色彩豊かに、合理的(レオナルド・ダ・ヴィンチが連想されますね)に照らし出しました。ドイツの天才、アルブレヒト・デューラーもまた、その光に憧れてアルプスを越えた一人。

なぜ、ゴシックが最も輝いた中世のアノニマス(無名)な職人たちではなく、ルネサンスの夜明けに生きたデューラーにスポットを当てるのか?

周囲が新しい光に熱狂する中で、あえて古い影を自らの意志で選択し、それを独自の美学へと昇華させた彼の姿こそが、多様なファッションが溢れる現代において、あえて「ゴシック」を自らの武装として選ぶ人の姿に、より強く共鳴するのではと考えたから。

まずは、デューラーという男について少し触れておきます。15世紀末から16世紀にかけて、ドイツが生んだ「自画像の父」とも呼ばれる天才です。彼は、画家が単なる「職人」として扱われていた時代に、自らを高貴な姿で描いた自画像を次々と残しました(おそらくキリストと重ね合わせていたのではと考えられます。自画像を救世主に。凄まじい自負です)。

<毛皮で縁取られたローブを着た自画像>(アルブレヒト・デューラー1500年)

毛皮で縁取られたローブを着た自画像>(アルブレヒト・デューラー1500年)

 

それは「私は独立した知性を持つ芸術家である」という、強烈な自己の確立を宣言するものでした。彼の作品には「AD」マークが描かれているのもその現われのひとつ。若干自己主張が強いタイプの人だったとは思われますが・・・

<デューラーが作品に描いていたロゴマーク>(世界で最初のコピーライト表記ともいわれています。

 

彼はイタリアへの2回遠征修行で、洗練された技術を完璧に吸収。しかし、そのペン先が最後に選んだのは、ルネサンスで沸くイタリア的な明るい理想ではなく、どこまでも厳格で、どこまでも孤独な「ゴシックの線」でした。

なぜ、彼はルネサンスを学びながら、ゴシックを捨てなかったのか?

そこには、イタリアにはあってドイツにはなかった「古代」という背景が関係していると考えられます。足元を掘れば先祖の栄光(ローマ遺跡)が出てくるイタリア人にとって、ルネサンスは幸福な「回帰(再生)」でした。しかし、深い森と厳しい信仰の中で生きてきた北方(アルプスより北の地域のこと)の人々にとって、回帰すべき場所は外の地面を掘ってもなかったのです。

彼らにとっての真実は、自らの内面にある、あの天を突く大聖堂のような「鋭く、高い精神性」の中にあったのです。

その精神性がもっとも純粋な形で現れたのが、彼の「銅版画」の世界。

<メランコリア I>(1514年銅版画)

<メランコリア I>(1514年銅版画)

 

しかし、彼が現実をこれほどまでに冷徹に写し取ったのは、単なる技術の誇示ではなく、リアルな描写の向こう側に人間の孤独や信念、信仰を「象徴」として浮かび上がらせ鑑賞者の心に訴えるため。この「写実性」と「象徴性」がゴシック後期美術の特徴なのです。


一筋の線も妥協しない職人的な執念は、現代のみなさんが愛するゴシック・アンド・ロリータの「パニエ」や「レース」、「フリル」の密度と無縁ではないはずです。


気に入った一着の細部(ディテール)を突き詰めるのは、単なる飾りではなく、その装いに自分だけの哲学を込めるから。


 「写実(リアルな装い)を突き詰めてこそ、その奥にある象徴(自分の意志)が鋭く光りだす」。このように結び付けられます。         
効率や合理性とは対極にある、過剰なまでの手仕事・演出の集合体、それは単なる装飾ではありません。銅版画のモノクロームと現代のゴシック・アンド・ロリータは、表面的には個性的な発信と見えますが、真っ向から内面と向き合う精神性を装う武装なのです。


下の画像はデューラーの名作『騎士と死と悪魔』(1513年)を見てください。死の影が背後に忍び寄り、悪魔が耳元で囁こうとも、騎士は馬を止めず、ただ前だけを見据えて歩み続けています。

この騎士の纏う鎧こそが、私たちの纏う「黒いドレス」ではないでしょうか。 色の洪水に背を向け、モノクロのコントラストにこめた意思(もちろん黒だけではないですが今回はモノクロもテーマのひとつですのでご容赦を)。


それは、自分という人間が何者であるかを、自分自身に問い続けるための儀式のようなものなのです。デューラーが守り抜いた北方(アルプスより北の地域)の誇りは、いま、私たちの纏うドレス、レースの中に確かに息づいています。

第2回連載いかがでしたか?

少し大仰な・・・と感じた方もいらっしゃるかもしれません。しかし、思い出してください第1回目のこのコラムで触れた大聖堂。先のとがった塔、細かい彫刻の施された装飾、そして過剰ともいえるステンドグラスの光。これら演出すべてがデューラーたち芸術家や現代へ生きるこのコラムを読むみなさんへと受け継がれているのです。


では連載第3回は、ゴシックと文学に焦点をあてます。あなたはどんな文学をイメージしますか?

デューラーの騎士が、背後に蠢く(うごめく)「得体の知れない怪物」に目もくれず進んだように、ゴシック文学の主人公たちもまた、自らの内なる怪物(孤独や異形)と向き合いながら、物語という闇を歩み続けます。

ではおたのしみに~。

*参考資料
・ゴシックとは何か 酒井健 ちくま学芸文庫 2006年
・ドイツ・ルネサンスの挑戦デューラーとクラーナハ 新藤淳・岩谷秋美 東京出版 2016年
・デューラー版画展図録 名古屋ボストン美術館 2003年
・芸術新潮 デューラー講義 2003年5月号 新潮社

 

執筆者

青木 雅司

美術検定1級アートナビゲーター

昔、大阪と名古屋でラジオ局のディレクター長いことやってました。

あいちトリエンナーレ2013メンバーでした。

書くことが好きです。

 

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