
歩く芸術、広告、魔法少女。~女性の美しさとは~
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街を歩いていて、毎日思う。
この世の女性は美し過ぎる。
容姿だけではなく、女性にしか出せない神聖で繊細な空気感が美しい。
CDのジャケット、バンドのMV、絵画、広告…女性のモデルやキャラクターばかり起用されている女性のアイコン化は止まる事を知らず。
女性はかわいいにもかっこいいにも綺麗にもセクシーにもなれる。
近年の女性は一般の方でも、メイクや体型や髪の毛など、アイドル並みに管理しているのを見受けられる。
正直、好きな口紅の色を塗って好きなものを食べて好きな髪型をして欲しい気持ちもあります。
美の奴隷になる生き方は私もその1人なので否定しませんが、ファッションや体型が誰にも言及されず、健康を度外視した暗黙の了解も破られてもっと自由になって欲しいです。
そこは一旦置いておいて、女性の美しさがどんどん洗練されていくだけでは無い。
年下の女性と関わるたびに、SNSの普及により判断能力が培われているせいなのか、非常に達観していて冷静で大人びていて賢い方ばかりで驚く。
メイクは、ただ液体を顔に塗ってパーツを隠して誤魔化しているだけなんて認識はもう古い。肌質や顔色や季節や服装や悩みに合わせて物凄く工夫されている。
パーツを活かしたり、なりたい自分になるように、オーラまで自己プロデュースしている。
アイドルグループに居たら、どういうポジションに居るのか当てはめられるぐらいのオーラを纏い始めている。
纏い始めているというのは嘘。
時代が変わっても纏い続けている。
私はどの年代の女性も大好き。
60年代の邦画を見れば、モノクロでも伝わってくる囲み目メイクと目力が美しい。
90年代のファッション雑誌をひらけば、たっぷり塗られた下まつ毛のマスカラと細い眉毛と血色感のあるチークがお人形みたいでかわいい。
女性作家の小説のページをめくれば、美しい言葉で怒ったり泣いたりしている。
男性しかいない環境に花形要員として女性が呼ばれたりもする。(これはその女性が良しとしていれば良いのですが、あまり好きではない状況)
この世には紅一点という言葉もありますし、女性の華やかさは偉大ですよね。
女性も男性も女性が大好きだと思う。
美しくてプライドが高くて意地悪な男性はよく見かけるが、美しくて優しい男性はあまり見た事がない。
私の経験上、美しい女性は優しい。
必要なプライドを持っているけれど、みんな優しい。
美人は意地悪という説は絶対ないとは言い切れないけれど、私は感じた事がない。
基本的に女性は小さい頃から大人びていて口調も態度も優しい。
繊細で清潔で神聖なる存在ゆえに、女神や母親のように扱われるのは疑問に思う。
人として男女共に誰かに搾取されてはいけないのですが、やっぱり女性は本当に搾取されてはいけないと思う。
女性の存在は花そのものだと思う。
美しい花を引っこ抜いたり、踏みつけないで欲しい。
適度に水をあげる事以外をしてしまう人間は、花を眺めるに止まるのが最適なのだと思う。
女性は女性から見ても色っぽいし魅力的だけれど、こんなにパワーアップし過ぎているのだから、四の五の言わずにそっとして欲しいです。
近年、女性同士が心の底から愛で合う光景を今まで以上に目にする。
人として尊重した上で表面的な部分も尊敬し合いながら褒め合う安心感が心地良いからだ。
地雷系、ロリータ、モード、y2k、サブカル、ヨジャドル系、清楚、ギャル…
十人十色の女性たちが手を取り合っていると言うのに、女性に対するくだらない搾取や攻撃なんて時代遅れ。
これからも街並みを、広告として、通行人として、店員として女性たちが華やかに彩ってくれるであろう。
令和流なエモーショナルな被写体写真も大体モデルは女性だ。
グラビアアイドルも9.9割が女性。
ドールも基本的に女性ばかり作られている。
私はジェニーフレンドとリカちゃん人形が好きなので、『リカちゃんキャッスルのちいさなおみせ』にお人形のお洋服を買いに行きます。
109に行った時には気づかなかったのですが、お人形のお洋服を見ると、女性服のバリエーションの豊かさに驚きます。
そして、いろいろなテイストを着たいし着せたいという願望は、お人形のみならず、生身の女性自身が、そして女性相手に芽生える願望ですよね。
着せ替え人形が基本的に女性なのも、いろいろな姿を見たり眺めたいという人間の願望の表れかもしれません。
先日、横浜人形の家で開催中の「魔法少女の軌跡」に行って参りました。
60年代から現代までの数々の魔法少女たちの武器(玩具)や原画などが展示されておりました。
やはり、女性は可愛いにも綺麗にもかっこいいにも美しいにもセクシーにも憧れにも癒しにもなれる。
女性の存在自体が魔法少女との親和性がかなり高いと感じました。
これからも音楽も写真も化粧品も写真も女性の美しさを借りながら、華やかにパッケージ化していくのではないでしょうか。
女性がエロの権化として扱われる80年代の写真も、ポリシーはさておき素敵だとは思いますが、神聖なるエロスを携えた清潔かつ崇め称えられるファムファタールとしての作が増えたら嬉しいなと思います。
芸術にとって女性は切っても切り離せない存在なのは、女性そのものが生きる芸術なのではないでしょうか。
人間の本能に抗う言い方にはなりますが、下心で優遇されたり甘やかされたり、女神や母のように理想像を押し付けられて神格化されるのではなく、女性が1人の人間としてもっと尊重される世の中になると嬉しいです。
理想より現実の女性の方が刺激的かつ現実的で理想を超えていると思います。
女性の鋭い眼差しや細やかな感性は、時に厳しいですが穏やかな暮らしを目指していく上で必要な要素だと思います。
何はともあれ、この世の人間全員が女性から生まれているわけですしね。
自分の母親を良くも悪くも世の中の女性像として認識する方もいるので、全ては一概には言えないですけどね。
今回は精神性や性的な部分への着目ではなく、表面的な魅力を精神性から僅かに解いていって、女性のアイコニックさについて語る回でした。
この世の女性の「自分のための賢さと美しさ」を他人が享受できる喜びが素晴らしい事だと改めて感じております。
執筆者 赤城文(あかぎ・あや)
歌手。
モデル、ダンサー、振付師、作詞家、執筆家としても活動中。
FREEZINEにてコラム「文系恋人放浪中」連載中
「文系恋人放浪中」 by 赤城文 | FREEZINE(フリージン)