ゴシックコラム第5回:デジタルの古城 ―― 現代に残る「黒」の領域

ゴシックコラム第5回:デジタルの古城 ―― 現代に残る「黒」の領域

ゴシックの大聖堂からデューラーの黒、ゴシック・リバイバルと文学、ヴィクトリア女王の喪服と紡いできましたゴシック連載も今回がラストです。第5回目は、20世紀から現代のゴシックに目を向けそのひろがり、深みを探求していきます。

 

この連載を書いていてふと頭をよぎったことがあります。

バロックや印象派など、歴史を彩った文化の潮流は数多くあります。例えば、印象派の展覧会は、今でも大変人気で各地の展覧会をにぎわせますし、後期印象派に含まれるゴッホは、今年から来年にかけて大規模な巡回展が開催されています。

しかし、人気のある印象派も、21世紀の現代に形を変えながら何かしらのカルチャーとして残っているかというと、それはちょっと違いますよね。

それらは「歴史の標本・遺物」として美術館に収まっているわけです。そんななか、ゴシックだけが形を変え、媒体を変え、今なお異彩を放ちながら進化し続けているのは、特筆すべきことだと思ったのです。

 

私は、かつて音楽業界の端っこで仕事をしておりまして、何千枚とCDを持っておりました。現代のゴシックカルチャーとして真っ先に思い浮かんだのは「音楽」。

中世の後期、石を積み上げたゴシックの「大聖堂」は、19世紀にはヴィクトリア女王の纏う「布」となり、そして20世紀後半、それは「音」へと姿を変えました。ゴシックロックの登場です。

 

*ゴシックロックに始まる音楽との融合

1970年代末、パンクの喧騒が過ぎ去ったイギリスのアンダー・グラウンドで、ゴシックは「ゴシックロック」という新たな器を見つけました。その始祖と言われるのが、「バウハウス(Bauhaus)」です。 彼らがデビュー・シングル『ベラ・ルゴシは死んだ』(映画「ドラキュラ」の俳優さんで、ドラキュラといえばこの人!)で提示したのは、ドラキュラ的な死の美学。

ゴシックの建築様式が持っていた「垂直性」や「威圧感」を、彼らは切り裂くようなギターと重苦しいリズムで表現したのです。

バウハウスやザ・キュアーといった先駆者たちが撒いた「ゴシック・サウンド」は、やがてより洗練されたデジタルの領域へと芽吹いていきます。

<<夜のケルン大聖堂 By © Raimond Spekking / CC BY-SA 4.0 (via Wikimedia Commons), CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2723643>>


*スタジアムを揺らす「音の城壁」

ここで、私がこよなく愛するグループ、デペッシュ・モード(Depeche Mode)の話をさせてください。日本では語られる機会が少ない(悲しい。。。)かもしれませんが、欧米では黒服に身を包んだ数万人の観客がスタジアムを埋め尽くし、一斉に彼らの旋律に陶酔する光景が当たり前のように見られました。

彼らのサウンドには、「暗い」とひとくくりされることもありますが、それは「退廃的なサウンド構築」によるものです。退廃的・・・ゴシック文学にも通ずる要素ですね。

「Enjoy the Silence」「Precious」など彼らの音作りは、単なる電子音で繰り出すポップスではありません。荘厳であり、冷たく攻撃的でもあるシンセサイザーの電子音と静寂なサウンドの対比。それはまるで尖塔やステンドグラスに対しての祈りの場のよう。私の脳裏には、彼らの音楽を聴くたび、「目に見えないデジタルの大聖堂」のような建築が思い浮かぶのです。

 

ヴィクトリア女王が漆黒のドレスで周囲を拒絶したように、彼らもまた、熱狂の中に「自分たちだけの聖域」を築き上げました。

 

*なぜゴシックだけが、今も呼吸しているのか

数ある様式の中で、なぜゴシックだけがこれほどしぶとく生き残るのか。 それは、ゴシックが単なる「飾り」ではなく、人間の「心の防衛本能」そのものだからでしょう。

バロックが権力を外へ誇示するための「太陽」だとしたら、ゴシックは内なる孤独を守るための「月夜」です。

時代がどれほど高度化し、情報の光ですべてが暴かれるようになっても、私たちは「一人になれる闇(光への対比としての闇)」を必要としています。

だからこそ、最新のゲームにそびえ立つ尖塔や、Netflixの『ウェンズデー』が描くモノクロームの世界に、現代の若者たちもまた、かつての女王と同じ「矜持」を見出すのです。

 

*「不自由」という名の、究極の自由

12世紀の石造建築からヴィクトリア女王の喪服、デペッシュ・モードの電子音で奏でる退廃の美、そしてデジタル空間にそびえるゲームの中の「光の粒子でできた尖塔」。 

世間の流行を拒み、自分だけの様式美の中に生きること。それは、効率ばかりを求める現代社会に対する、最も静かで、最も過激な反逆なのかもしれません。逆に捉えると、私はこの「不自由」とも言える頑なさにこそ、人間としての「自由」を感じるのです。

ゴシックという名の城壁は、これからも姿を変えながら、私たちの個と美学を優しく守り続けていくことでしょう。





執筆者


美術検定1級アートナビゲーター

昔、大阪と名古屋でラジオ局のディレクター長いことやってました。

あいちトリエンナーレ2013メンバーでした。

書くことが好きです。

https://flat-artlabo.com/ 



ブログに戻る